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南部政行 (12代当主) : ミニ英和和英辞書
南部政行 (12代当主)[なんぶ まさゆき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みなみ]
  1. (n,vs) South 2. proceeding south 
南部 : [なんぶ]
 【名詞】 1. southern part 
: [せい, まつりごと]
 【名詞】 1. rule 2. government 
: [くだり, ぎょう]
 【名詞】 1. (1) line 2. row 3. (2) verse 
: [よ, しろ]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
当主 : [とうしゅ]
 (n) (present) head of a family
: [ぬし, おも]
 【名詞】 1. owner 2. master 3. lover 4. god 

南部政行 (12代当主) : ウィキペディア日本語版
南部政行 (12代当主)[なんぶ まさゆき]

南部 政行(なんぶ まさゆき)は、南北朝時代武将。三戸南部氏第12代当主。第11代当主・南部信長の子。信長の養嗣子となったとする説もある。
==生涯==
当主としての力がなく、領地を同族に横領されていた。鎌倉幕府が滅亡して南北朝時代に入ると、北畠顕家奥州を統治していた経緯からはじめは南朝勢力に与した〔興国元年(1340年)に北畠顕信が奥州に下向しようとした時、足利勢の石塔義房の兵に阻まれ白河に止まる。この時政行は幼年だった為、叔父の仲行茂行信行等は協力して顕信を援けた。〕〔この叔父たちの輔佐の功により、正平15年(1360年)に政行は奏請して茂行を津軽田舎郡冬井、日間野両郡并に外ヶ浜野尻郷に、信行を田舎郡黒石郷鼻和郡目谷郷に分封した。この時仲行は既に卒していたので領地の分与はなしとされている。『南部史要』第12世政行公事績より〕。
しかし正平元年(1346年)に足利尊氏の調略に応じて北朝方に寝返り、奥州の南朝勢力と戦って勢力を拡大したという説もあり、南部氏系譜を混在ならしめている。元中5年/嘉慶2年10月18日に61歳で死去。後を子の守行が継いだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「南部政行 (12代当主)」の詳細全文を読む




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